信長の野望・創造 with パワーアップキット(PC)

九州征伐に向け動き出した秀吉。
大友宗麟からの援軍要請を受け、先発隊として仙石権兵衛秀久を総大将に
四国の雄、長宗我部家と十河存保を送りますが、権兵衛の無謀な作戦により大敗。
権兵衛は秀吉の怒りを買い、高野山に追放。
秀吉の弟、豊臣秀長を総大将に、秀吉自ら軍を率いて九州征伐に
向かう決意をするのでした。
2015_05_27-20-57-28-232

さて、信長の妹お市の方の娘達ですが、柴田勝家討伐後、秀吉が保護していました。
次女の初、三女の江は嫁ぎ先を見つけ既に出て行きましたが、
長女の茶々だけは、秀吉の元に残っていました。
2015_05_31-23-15-35-831

信長の正当後継者を自負する秀吉にとって、お市の血を引く茶々の
利用価値は高く、お市の方に憧れていた秀吉は三姉妹の中で母の面影を
一番よく受け継いでいた長女の茶々を側室に迎えます。

茶々は山城の淀城に住んでいたことから淀殿と呼ばれる様になります。


さてさて、九州征伐。
先の敗戦を教訓に、大部隊を組織し九州へ乗り込む秀吉軍。
その数20万。
2015_06_01-00-57-04-803

まずは、島津家と共に大友家に抵抗していた秋月家に攻撃を開始。
秋月家党首、秋月種実は時間稼ぎに籠城作戦を行おうとしますが、
周囲の破棄された城を一晩で修復する秀吉得意の一夜城で、秋月城を包囲。
秋月家を滅亡させます。
2015_06_01-00-22-29-484

2015_06_01-00-22-32-962

ここで軍を二手に分けて進行を開始。

秀吉本隊は、肥後(熊本県)を通り、西側から南下するルート。
弟の秀長軍は、日向(宮崎県)を通る東側から南下するルートを進みます。

秀吉軍は備前の龍造寺家の城を次々と陥落させ南下。
島津家の隈本城(熊本城)を秀吉以下大軍勢で一気に包囲し陥落させます。
2015_06_01-00-34-22-901

島津軍は東側を通る秀長軍に警戒し、日向の南にある高城に戦力を集中させます。
高城は、以前に紹介した耳川合戦で島津軍が大友軍を打ち破った難攻不落の城です。
詳しくはその6を見てください
しかし秀長は無理に高城を攻略せず、包囲し持久戦の構えを見せます。
2015_06_01-00-34-47-729

秀吉が西側から南下してきている現状、のんびり戦っていては
島津家の本拠地である薩摩に攻め込まれてしまいます。
そこで島津義久は高城を包囲する秀長軍に決戦を挑む事を決意。
高城の南側にある根白坂という場所にある砦を強襲します。
2015_06_01-01-11-18-893

しかし、この根白坂は島津軍が高城を救援するなら絶対に通らないといけない
ルートだったので、宮部継潤などが特に守備を固めていました。
ここに根白坂の戦いと呼ばれる激しい戦いが始まります。

宮部継潤らを中心にした1万の軍勢が空堀や板塀などを用いて堅守。
島津軍は突破できずに戦線は膠着状態に陥ります。
継潤の救援に藤堂高虎、宇喜多秀家配下の戸川達安が向かい島津軍を翻弄。
ここに小早川軍・黒田軍が挟撃をしかけ、島津軍は
島津忠隣、猿渡信光が戦死するなど大きな損害を出して敗走。
高城も陥落します。
2015_06_01-01-14-30-130

主力決戦に敗れた義久は豊臣秀吉に降伏。
剃髪して龍伯と号し出家しました。
2015_06_01-01-15-06-900
それに対し秀吉は島津家の領土安堵を約束し盛大に饗す事で、
天下人としての器量をみせつけるのでした。

こうして、九州征伐は完了。
次は東日本です。

ってな訳で続きは次回。

ごちそうさまでした


スポンサードリンク