信長の野望・創造 with パワーアップキット(PC)

清州会議の結果、完全に織田家は分裂。

織田信雄(次男)は尾張、伊勢を治める清須織田家。
2015_05_25-21-47-27-539

織田信孝(三男)は美濃を治める岐阜織田家。
2015_05_25-21-47-24-943

北陸地方は柴田家の領地となり、姫路から京都までは秀吉の領地となりました。
2015_05_25-21-47-30-206

織田信孝(三男)は柴田勝家と組む形で秀吉と対立。
勝家と仲が良かった佐々成政と家臣の前田利家は柴田勝家側に、
丹羽長秀、池田恒興は秀吉側に付きました。

織田信雄(次男)は信孝(三男)が勝家と組んだので対立する形で秀吉側となりました。
滝川一益は、史実であれば勝家側に付くんですが、なぜか清須織田家となっているので、
今は秀吉側になっています。

そんな中、最初に動いた織田信孝(三男)を黙らせ、
勝家に協力していた鈴木家を滅亡させた前回。
柴田勝家との直接対決に望みます。

琵琶湖の北にある賤ヶ岳で、進軍してきた柴田勝家、羽柴秀吉軍が激突。
しかし、美濃で織田信孝(三男)が動きを見せたので、秀吉本隊は美濃方面に撤退します。

そして賤ヶ岳の戦い。
序盤は鬼と称された佐久間盛政の猛攻により、中川清秀は討死、
高山右近が敗走するなど、勝家側有利に進めていきます。
これに気を良くした佐久間盛政は、勝家の再三の撤退命令を無視。
2015_05_25-22-09-27-872

しかし、琵琶湖を渡って合流した丹羽長秀隊と、桑山重晴が合流。
さらに、美濃方面に撤退した秀吉本隊が、中国大返し以上のスピードで
美濃から賤ヶ岳に戻る美濃大返しを行い戦線に合流。

しかもこのタイミングで、秀吉と旧知の中でありながら、勝家の家臣であった
前田利家隊が戦線より離脱。
これにより突出していた佐久間盛政隊は壊滅。
2015_05_25-22-10-27-846

先鋒の佐久間盛政隊が瓦解した事により、秀吉軍が勝家本隊に総攻撃を開始。
2015_05_25-22-08-52-101

多勢に無勢の状況を支えきれず勝家軍は総崩れとなり、北ノ庄城に退却しました。
2015_05_20-22-06-00-978

秀吉軍は、そのまま北ノ庄城を包囲。
後が無い事を悟った勝家は、清州会議以降に妻としていたお市の方を
秀吉に送ろうとしますが、お市の方はそれを拒否。
2015_05_25-22-11-46-430

2015_05_25-22-12-15-162

勝家は妻子などを一刺しで殺し、80人とともに切腹。
2015_05_25-22-12-33-755

勝家は十字切りで切腹(最も正式の切腹の作法)したと伝えられています。
2015_05_25-22-13-00-079

こうして、一旦は織田家家督争いは終息。
柴田勝家を倒した事で、秀吉は織田家を掌握し、
信長の覇業を継ぐ者としての地位は確かなものとなりつつありました。

そして、その勢いを決定づけるべく、秀吉は大阪に巨大な城を建設する計画を立てます。
2015_05_25-22-14-47-095
大阪城築城開始です。

ってな訳で続きは次回。

ごちそうさまでした


スポンサードリンク