信長の野望・創造 with パワーアップキット(PC)
前回、武田勝頼率いる戦国最強と言われた武田騎馬軍団を
新時代の武器と戦術を用いて勝利した我が織田軍。
武田家は衰退し、信長の権勢はさらに大きくなっていきます。
後に、この戦いは長篠の戦いと言われ、これ以降の合戦では
新兵器鉄砲が主役になっていきます。
さて、そんな織田軍の大勝利を聞き、一人の男が信長に会いに来ました。

彼の名は黒田官兵衛。
後に秀吉の軍師となって、竹中半兵衛と二人で秀吉の二兵衛と呼ばれます。
築城の名人であり、軍事も謀略も政治も出来るチート武将(笑
豊臣政権下で、秀吉に恐れられる程です。
その辺の話は、また追々という事で。
そして、安土の地に、巨大な城を建設する計画を立てます。
世に言う安土城です。
安土城は天下布武の象徴として、一目にして人々に知らしめるものであったと言われています。

信長の居城、安土城が完成。
上杉謙信への備えも出来ました。
しかし、西の毛利が居る限り、安定した海運の確保は難しい状況でした。
そこで、信長は秀吉に毛利討伐を命じます。

一方、織田家の動きを受けて、毛利家は反信長の勢力を結成し、第三次信長包囲網が完成。
徹底抗戦の構えを見せます。

そしてさらに、この機とばかりに、またしても松永久秀が謀反。

久秀の居城、信高山城にて兵を上げました。

しかし、信長は解っていたかの様に即座に信高山城を包囲。

前回と同じように、松永久秀はすぐに降伏します。

信長は今回も許しますが、条件として松永久秀が持つ
名器 平蜘蛛の釜を差し出せば助命すると伝えます。

茶の湯について。
信長の意外ともいえる趣味が、茶の湯(茶道)です。
鎌倉時代に中国から禅宗の抹茶法が持ち込まれ、抹茶法を習った珠光は
そこに禅やわびの思想を取り入れ茶道の深い精神性の基礎をつくり、
武野紹鴎を経て千利休によって、わびの茶の湯が完成します。
その風流な趣向に感銘を受けた信長は、以後茶の湯を好んで行うようになります。
このころ、千利休を茶頭とし、大規模な茶会を開催しています。
そんな信長の趣味を見た家臣たちは、同じく茶の湯を好むようになり、
戦国武将の間で大ブームとなっていきます。
そして、信長は茶の湯に使う茶器の収集を始めます。
いつしか茶器は一国より高い価値を持つようになり、甲斐攻略で武功を上げた
滝川一益が信長に珠光小茄子という茶器を恩賞として希望しますが、与えられたのは
関東管領の称号と上野一国の加増でがっかりしたという逸話が残っています。
松永久秀が織田信長へ臣従した際に名器 九十九髪茄子を進呈しますが、
この平蜘蛛の釜については、信長から幾度も所望されますが断る程の名器だった様です。
久秀は、生きながらにして全てを奪うつもりだろうが、
貴様には何も奪わせぬと叫び、平蜘蛛の釜に爆薬を詰め点火。
松永久秀は、信高山城天守閣で爆死するのでありました。

それから後日。
明智光秀が信長に、松永久秀が平蜘蛛の釜を素直に渡していたら、
どうするつもりだったのか訪ねました。

すると信長は、光秀ならどうする?と質問で返します。
光秀は、松永久秀は斬るべきだったと回答。

それに対し信長は、あのような男を生かすも一興。
光秀、狼の如き貴様を生かしておるようにな
と返すのでありました。

ってな感じで続きは次回
ごちそうさまでした
前回、武田勝頼率いる戦国最強と言われた武田騎馬軍団を
新時代の武器と戦術を用いて勝利した我が織田軍。
武田家は衰退し、信長の権勢はさらに大きくなっていきます。
後に、この戦いは長篠の戦いと言われ、これ以降の合戦では
新兵器鉄砲が主役になっていきます。
さて、そんな織田軍の大勝利を聞き、一人の男が信長に会いに来ました。

彼の名は黒田官兵衛。
後に秀吉の軍師となって、竹中半兵衛と二人で秀吉の二兵衛と呼ばれます。
築城の名人であり、軍事も謀略も政治も出来るチート武将(笑
豊臣政権下で、秀吉に恐れられる程です。
その辺の話は、また追々という事で。
そして、安土の地に、巨大な城を建設する計画を立てます。
世に言う安土城です。
安土城は天下布武の象徴として、一目にして人々に知らしめるものであったと言われています。

信長の居城、安土城が完成。
上杉謙信への備えも出来ました。
しかし、西の毛利が居る限り、安定した海運の確保は難しい状況でした。
そこで、信長は秀吉に毛利討伐を命じます。

一方、織田家の動きを受けて、毛利家は反信長の勢力を結成し、第三次信長包囲網が完成。
徹底抗戦の構えを見せます。

そしてさらに、この機とばかりに、またしても松永久秀が謀反。

久秀の居城、信高山城にて兵を上げました。

しかし、信長は解っていたかの様に即座に信高山城を包囲。

前回と同じように、松永久秀はすぐに降伏します。

信長は今回も許しますが、条件として松永久秀が持つ
名器 平蜘蛛の釜を差し出せば助命すると伝えます。

茶の湯について。
信長の意外ともいえる趣味が、茶の湯(茶道)です。
鎌倉時代に中国から禅宗の抹茶法が持ち込まれ、抹茶法を習った珠光は
そこに禅やわびの思想を取り入れ茶道の深い精神性の基礎をつくり、
武野紹鴎を経て千利休によって、わびの茶の湯が完成します。
その風流な趣向に感銘を受けた信長は、以後茶の湯を好んで行うようになります。
このころ、千利休を茶頭とし、大規模な茶会を開催しています。
そんな信長の趣味を見た家臣たちは、同じく茶の湯を好むようになり、
戦国武将の間で大ブームとなっていきます。
そして、信長は茶の湯に使う茶器の収集を始めます。
いつしか茶器は一国より高い価値を持つようになり、甲斐攻略で武功を上げた
滝川一益が信長に珠光小茄子という茶器を恩賞として希望しますが、与えられたのは
関東管領の称号と上野一国の加増でがっかりしたという逸話が残っています。
松永久秀が織田信長へ臣従した際に名器 九十九髪茄子を進呈しますが、
この平蜘蛛の釜については、信長から幾度も所望されますが断る程の名器だった様です。
久秀は、生きながらにして全てを奪うつもりだろうが、
貴様には何も奪わせぬと叫び、平蜘蛛の釜に爆薬を詰め点火。
松永久秀は、信高山城天守閣で爆死するのでありました。

それから後日。
明智光秀が信長に、松永久秀が平蜘蛛の釜を素直に渡していたら、
どうするつもりだったのか訪ねました。

すると信長は、光秀ならどうする?と質問で返します。
光秀は、松永久秀は斬るべきだったと回答。

それに対し信長は、あのような男を生かすも一興。
光秀、狼の如き貴様を生かしておるようにな
と返すのでありました。

ってな感じで続きは次回
ごちそうさまでした
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