信長の野望・創造 with パワーアップキット(PC)
武田信玄が病死し、勝てぬ相手では無くなったと信長。
そして、鉄砲を集め始めた前回。
さっそく勝頼討伐といきたいところですが、まずは武田との大一番の前に、
やることを先に終わらせないと(笑
ってな訳で朝倉攻めです。
残すは勝山城のみ。
こましお以下、1万の兵で包囲します。
そして最期は、あっさりと陥落。
朝倉家は滅亡しました。
朝倉家家臣を取り込みます。
そして、二条御所を包囲し、義昭を追放。
この辺の事は その11 を見てください
後の秀吉の家臣、大谷吉継を登用。
ハンセン氏病だったために、顔を白い布で覆っています。
関ヶ原の合戦で活躍するんですが、その話は後ほど。
尾山御坊を陥落させ、越前一向一揆はこれで平定。
そして、中国地方の浦上家家臣であった宇喜多直家が
浦上宗景を追放し戦国大名へ。
宇喜多直家は戦国三大梟雄、北条早雲、斎藤道三、松永久秀に次ぐ悪役ぷりで、
戦国四大梟雄なんて言われてたりもしています。
主家をのっとって下克上を達成した事からそう言われている訳ですが
殺し方が、自分の娘を嫁がせて安心させてからの毒殺や、
日本最初の鉄砲による暗殺を実行したりナドナド、腹黒さでは定評があります(笑
ただ、浦上家をのっとるまでに行った数々の謀略も、父祖の土地を取り戻す為であり、
その後の勢力拡大も、自らの縁者を犠牲にしてでも、仲間を守る為だったとも言えます。
そして、お玉さんが元服。
前にも書きましたが、明智光秀の三女です。
信長の薦めによって細川藤孝の嫡男、忠興と結婚。
その後、キリシタンとなり洗礼を受け細川ガラシャと名乗ります。
さらにその後、壮絶な最期を迎えます。
その話は追々。
そして、お玉さんが壮絶な最期を迎える原因を作る石田三成が元服(笑
秀吉の家臣で、西軍大将として有名ですね。
その辺の話も追々やっていくと思います。
さてさて、ここで武田勝頼が長篠に向けて進軍を開始。
しかし、信長は待ってましたとばかりに自身満々です。
鉄砲隊を3つに分け、撃つ者と弾込めを交互に行わせる三段撃ちを考案。
さらに当時としては画期的な、野戦築城を実施。
長篠城手前の設楽原は原と言っても、小川や沢が幾つも連なる場所でした。
信長はこの点を利用し、30,000の軍勢を敵から見えないよう、途切れ途切れに布陣させ、
川を挟む台地の両方の斜面を削って急斜面を作り急造の堀としました。
さらに騎馬隊の突撃を防ぐ馬防柵を設けます。
戦闘開始。
左翼は織田軍、右翼は徳川軍という布陣。
まずは戦国最強軍団、山県昌景率いる赤備えと、
徳川四天王の二人、本多忠勝隊、榊原康政隊が激突。
家康の三河魂を発動し、攻撃を何とか凌ぎます。
その間に、丹羽長秀隊と、滝川一益隊が、真田信綱、昌輝兄弟を撃破。
真田兄弟は討死。
武田四天王の一人、内藤昌豊が討死。
さらに徳川軍と交戦していた山県昌景も討死。
武田四天王の二人が死に、武田信豊隊、穴山信君隊が撤退。
残すは武田勝頼率いる本隊のみ。
各々撃破した、織田軍、徳川軍が合流。
織田信長本隊が前に出ての一斉攻撃を開始。
本多忠勝隊が後方から突撃。
混乱した勝頼隊は、為す術もなく殲滅させられました。
撤退する勝頼軍。
そこに殿(しんがり 見方を逃がすために死地に残って敵を食い止める役)
を務める武田四天王、馬場信春。
不死身の鬼美濃と言われた馬場も、多勢に無勢。
奮戦の末に討死。
こうして、新戦法、鉄砲三段撃ちを使い、野戦築城も行った織田軍が圧勝。
それまで、雑賀衆等の鉄砲隊を主力とする勢力と戦ってきた織田軍に対し
鉄砲隊を主力とする勢力と戦った事が無かった武田軍が大敗する事となり、
騎馬主体であった合戦様式が、鉄砲主体へと変わっていくのでした。
いや~ 武田の有名武将が次々と討死していく熱い展開なんですが、
歴史好きとしては、やっぱりグッと来る物があります。
ってな訳で続きは次回。
ごちそうさまでした
武田信玄が病死し、勝てぬ相手では無くなったと信長。
そして、鉄砲を集め始めた前回。
さっそく勝頼討伐といきたいところですが、まずは武田との大一番の前に、
やることを先に終わらせないと(笑
ってな訳で朝倉攻めです。
残すは勝山城のみ。
こましお以下、1万の兵で包囲します。
そして最期は、あっさりと陥落。
朝倉家は滅亡しました。
朝倉家家臣を取り込みます。
そして、二条御所を包囲し、義昭を追放。
この辺の事は その11 を見てください
後の秀吉の家臣、大谷吉継を登用。
ハンセン氏病だったために、顔を白い布で覆っています。
関ヶ原の合戦で活躍するんですが、その話は後ほど。
尾山御坊を陥落させ、越前一向一揆はこれで平定。
そして、中国地方の浦上家家臣であった宇喜多直家が
浦上宗景を追放し戦国大名へ。
宇喜多直家は戦国三大梟雄、北条早雲、斎藤道三、松永久秀に次ぐ悪役ぷりで、
戦国四大梟雄なんて言われてたりもしています。
主家をのっとって下克上を達成した事からそう言われている訳ですが
殺し方が、自分の娘を嫁がせて安心させてからの毒殺や、
日本最初の鉄砲による暗殺を実行したりナドナド、腹黒さでは定評があります(笑
ただ、浦上家をのっとるまでに行った数々の謀略も、父祖の土地を取り戻す為であり、
その後の勢力拡大も、自らの縁者を犠牲にしてでも、仲間を守る為だったとも言えます。
そして、お玉さんが元服。
前にも書きましたが、明智光秀の三女です。
信長の薦めによって細川藤孝の嫡男、忠興と結婚。
その後、キリシタンとなり洗礼を受け細川ガラシャと名乗ります。
さらにその後、壮絶な最期を迎えます。
その話は追々。
そして、お玉さんが壮絶な最期を迎える原因を作る石田三成が元服(笑
秀吉の家臣で、西軍大将として有名ですね。
その辺の話も追々やっていくと思います。
さてさて、ここで武田勝頼が長篠に向けて進軍を開始。
しかし、信長は待ってましたとばかりに自身満々です。
鉄砲隊を3つに分け、撃つ者と弾込めを交互に行わせる三段撃ちを考案。
さらに当時としては画期的な、野戦築城を実施。
長篠城手前の設楽原は原と言っても、小川や沢が幾つも連なる場所でした。
信長はこの点を利用し、30,000の軍勢を敵から見えないよう、途切れ途切れに布陣させ、
川を挟む台地の両方の斜面を削って急斜面を作り急造の堀としました。
さらに騎馬隊の突撃を防ぐ馬防柵を設けます。
戦闘開始。
左翼は織田軍、右翼は徳川軍という布陣。
まずは戦国最強軍団、山県昌景率いる赤備えと、
徳川四天王の二人、本多忠勝隊、榊原康政隊が激突。
家康の三河魂を発動し、攻撃を何とか凌ぎます。
その間に、丹羽長秀隊と、滝川一益隊が、真田信綱、昌輝兄弟を撃破。
真田兄弟は討死。
武田四天王の一人、内藤昌豊が討死。
さらに徳川軍と交戦していた山県昌景も討死。
武田四天王の二人が死に、武田信豊隊、穴山信君隊が撤退。
残すは武田勝頼率いる本隊のみ。
各々撃破した、織田軍、徳川軍が合流。
織田信長本隊が前に出ての一斉攻撃を開始。
本多忠勝隊が後方から突撃。
混乱した勝頼隊は、為す術もなく殲滅させられました。
撤退する勝頼軍。
そこに殿(しんがり 見方を逃がすために死地に残って敵を食い止める役)
を務める武田四天王、馬場信春。
不死身の鬼美濃と言われた馬場も、多勢に無勢。
奮戦の末に討死。
こうして、新戦法、鉄砲三段撃ちを使い、野戦築城も行った織田軍が圧勝。
それまで、雑賀衆等の鉄砲隊を主力とする勢力と戦ってきた織田軍に対し
鉄砲隊を主力とする勢力と戦った事が無かった武田軍が大敗する事となり、
騎馬主体であった合戦様式が、鉄砲主体へと変わっていくのでした。
いや~ 武田の有名武将が次々と討死していく熱い展開なんですが、
歴史好きとしては、やっぱりグッと来る物があります。
ってな訳で続きは次回。
ごちそうさまでした
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