今回は、GW前って事で、数回分を一気に放出!
そんな訳で、かなり長いです(笑)
信長の野望・創造 with パワーアップキット(PC)
朝倉の本拠、朝倉山城を包囲する我が織田軍。
そして、ついに朝倉山城は陥落。
朝倉家は滅亡しました。
朝倉家の家臣を取り込みます。
浅井・朝倉家の滅亡後、信長は翌年の新年会で、浅井長政と朝倉義景の頭蓋骨に
金箔を塗り、それを飾って宴会を開いたと言われています。
相当、憎かったんでしょうね(汗
特に、長政に対しては相当に思いいれていた様ですから、可愛さ余って憎さ百倍と
いったところだったのかも知れません。
さてさて、これで織田包囲網は完全に崩壊。
全ての元凶である、義昭がいる二条城を包囲します。
頼みとしていた信玄の上洛は、織田の猛攻により壊滅(本来は信玄が病死)
足利義昭は信長にとって権力のための飾りに過ぎません。
もはや用済み という訳で、大軍をもって二条城を陥落させ、
将軍足利義昭を追放しました。
こうして15代続いた室町幕府は滅亡。
安土時代の幕開けとなり、信長の権勢は他の追随を許さぬものとなっていきます。
ちなみに、義昭はその後、中国地方の毛利家に入り、なおも反織田の活動を続けます。
とは、いっても手紙を送るだけですが(汗
信長が本能寺の変で急死し、毛利家と豊臣秀吉が講和をすると、その活動も出来なくなり、
完全に将軍家は終わりました。
さらに、その後、豊臣秀吉に許され京都に戻り、秀吉のおとぎ集(お話をする人)になります。
義昭の子、義在は足利の姓を捨て、永山家に改姓。
こうして室町幕府は、歴史からその姿を消しました。
徳川家康が、馬引城を浜松城に名前を変更。
家康は浜松城を気に入っていた様で本拠も変更。
浜松から駿府に本拠を移すまでの17年間、家康の居城となります。
そして、武田信玄が病死。
まぁ…… 上洛途中で病死するより、上洛失敗後に死ねたので、
史実よりは、無念も少なかっただろう(汗
フォローになってねぇー
武田家は以降、勝頼が大名となります。
だいぶ狂ってしまいましたが、時代が追い付いてきたって感じですかね?(笑
佐久間安政、生駒一正が元服。
そして、筒井家を滅亡させ吸収。
細川藤孝や島左近、筒井順慶など、そうそうたるメンバーを引き込む事に成功。
細川藤孝は、信長の薦めによって嫡男忠興と明智光秀の娘 玉との
婚儀がなされ、光秀の与力として活躍します。
お玉さんは後にキリシタンとなり、洗礼を受け細川ガラシャと名乗ります。
さらにその後、壮絶な最期を迎える訳ですが、その話はまた今度。
明智光秀軍団は、三好家に攻撃対象を変更。
中国地方の覇者 戦国最高の知将と言われた毛利元就が死去。
死ぬ間際に3人の息子(隆元・元春・隆景)を呼び寄せ、3本の矢束を折るよう命じ
誰も3本の矢束を折ることができなかったことから、1本では脆い矢も束になれば
頑丈になると3兄弟に説いたという、俗に言う三本の矢の話として有名です。
織田信澄が元服。
柴田勝家が、加賀にある本願寺の拠点、尾山御坊を攻略。
本願寺顕如を捕らえることに成功。
散々苦しめやがって……。
ってな訳で、処断にしちゃいました。
史実だと、信長に助命された顕如は、各地の一向一揆を抑える役割を持つ事になるんですが、
顕如の息子、本願寺教如が石山本願寺城に籠城し、反織田として対立。
教如は顕如に勘当され、本願寺は西本願寺(顕如派)と東本願寺(教如派)に分裂してしまいます。
秀吉の時代に、本願寺家の再興が許され、後に両本願寺は浄土真宗の総本山として
存続し続ける事になります。
まぁ 私は顕如を処断しちゃったので、本願寺も別れる事なく、
東本願寺だけで頑張ってくださいって事で(笑
そして、いよいよ柴田勝家軍に上杉家討伐を命じます。
教如が籠城していた石山本願寺城を攻略し、これで本願寺家は滅亡。
村上水軍VS九鬼嘉隆率いる鉄甲船は、残念ながらナシ(笑
本願寺家を取り込みます。
織田伏が元服。
石山本願寺城を秀吉に任せ、羽柴秀吉軍を設立。
中国方面軍とします。
従属していた北畠家を吸収し、織田家としました。
北畠家の家臣や領地は明智光秀軍に配置換えを行い、雑賀党鈴木氏攻略を命じます。
ここで、上杉政虎が上杉謙信に改名。
滝川一益軍が武田家を攻略中に、上泉信綱を登用。
新陰流の開祖で、柳生石舟斎の師匠にあたります。
柴田勝豊、蒲生氏郷、佐久間信栄が元服。
蒲生氏郷は父と共に柴田勝家の与力となり、朝倉家討伐で活躍するんですが、
もう朝倉家潰しちゃいました(汗
石田正澄も元服。
石田三成のお兄さんです。
秀吉が八上城を攻略。
これで波田野家は滅亡、波田野家家臣を取り込みます。
一色家を従属させます。
続いて、秀吉には山名家の攻略を命じます。
武田家の本拠である、躑躅ヶ崎館を攻略。
武田勝頼を追い詰めます。
ちなみに、この織田信長はヤングキングアワーズで連載中の漫画ドリフターズとの
コラボキャラになります。
私は読んだ事ないので、詳しい事はよく分かりません(汗
初期の頃、清須に浪人として登場したので、そのまま家臣にして以降、
今でも活躍しております(笑
浦上家を従属。
そして、ついに明智軍が弱体させた三好をも従属させます。
ここで織田信忠が元服。
言わずと知れた、信長の後継者となることを約束された人物でもあります。
幼い頃から家督相続を約束されていた信忠は、武将として出陣する前から
信長の戦に連れられ、闘いを学んでいたエリート中のエリートでもあります。
配置換えを行い、滝川一益軍はさらに東の信濃へ。
織田信忠軍を新設し、尾張と美濃を与え、一益、勝家の支援役としました。
中務大輔に叙任。
北条氏康が死に、北条氏政が後を継ぎます。
従属していた赤松家を吸収。
黒田官兵衛以下、赤松家家臣を秀吉軍に組み込みます。
天才軍師、秀吉の二兵衛(竹中半兵衛、黒田官兵衛)が揃いました。
細川藤孝などの活躍で、雑賀党鈴木氏は滅亡。
雑賀党鈴木氏を取り込み。
雑賀孫一として有名な、鈴木重秀などを取り込ました。
柴田勝家軍が上杉の城を次々と陥落させていきます。
魚津城を陥落させた際に、上杉謙信を捕らえる事に成功。
もう大分時代も狂ってしまったし、まだ謙信が生きているのもおかしいので処断しました。
実は、私個人として、一番好きな大名が上杉謙信で、かなり心苦しい選択でした……。
跡継ぎを明確にしていなかった謙信が急死したので、
上杉景勝と上杉景虎との間で家督争いが勃発。
上杉景虎は北条家から養子として来た経緯から、北条家に援軍を要請。
それに対し上杉景勝は、武田家に工作を働き、武田を見方に付けます。
こうして始まった、上杉家の内乱 御館の乱は、
北条、武田の代理戦争の様相も呈していきます。
秀吉軍の勢いは止まりません。
山名家も滅亡させました。
秀吉には、尼子家の攻略を指示。
毛利まで後少しです。
雑賀党鈴木氏を滅亡させましたので、近畿はほぼ平定。
明智光秀軍には、四国の雄、長宗我部攻略を命じます。
順風満帆。
天下統一も見え始めました。
しかし、信長に忍び寄る崩壊の足音。
このまま、天下統一なるのか、それとも……
ってな訳で、続きは次回。
皆様、良い連休をお過ごしください。
ごちそうさまでした
そんな訳で、かなり長いです(笑)
信長の野望・創造 with パワーアップキット(PC)
朝倉の本拠、朝倉山城を包囲する我が織田軍。
そして、ついに朝倉山城は陥落。
朝倉家は滅亡しました。
朝倉家の家臣を取り込みます。
浅井・朝倉家の滅亡後、信長は翌年の新年会で、浅井長政と朝倉義景の頭蓋骨に
金箔を塗り、それを飾って宴会を開いたと言われています。
相当、憎かったんでしょうね(汗
特に、長政に対しては相当に思いいれていた様ですから、可愛さ余って憎さ百倍と
いったところだったのかも知れません。
さてさて、これで織田包囲網は完全に崩壊。
全ての元凶である、義昭がいる二条城を包囲します。
頼みとしていた信玄の上洛は、織田の猛攻により壊滅(本来は信玄が病死)
足利義昭は信長にとって権力のための飾りに過ぎません。
もはや用済み という訳で、大軍をもって二条城を陥落させ、
将軍足利義昭を追放しました。
こうして15代続いた室町幕府は滅亡。
安土時代の幕開けとなり、信長の権勢は他の追随を許さぬものとなっていきます。
ちなみに、義昭はその後、中国地方の毛利家に入り、なおも反織田の活動を続けます。
とは、いっても手紙を送るだけですが(汗
信長が本能寺の変で急死し、毛利家と豊臣秀吉が講和をすると、その活動も出来なくなり、
完全に将軍家は終わりました。
さらに、その後、豊臣秀吉に許され京都に戻り、秀吉のおとぎ集(お話をする人)になります。
義昭の子、義在は足利の姓を捨て、永山家に改姓。
こうして室町幕府は、歴史からその姿を消しました。
徳川家康が、馬引城を浜松城に名前を変更。
家康は浜松城を気に入っていた様で本拠も変更。
浜松から駿府に本拠を移すまでの17年間、家康の居城となります。
そして、武田信玄が病死。
まぁ…… 上洛途中で病死するより、上洛失敗後に死ねたので、
史実よりは、無念も少なかっただろう(汗
武田家は以降、勝頼が大名となります。
だいぶ狂ってしまいましたが、時代が追い付いてきたって感じですかね?(笑
佐久間安政、生駒一正が元服。
そして、筒井家を滅亡させ吸収。
細川藤孝や島左近、筒井順慶など、そうそうたるメンバーを引き込む事に成功。
細川藤孝は、信長の薦めによって嫡男忠興と明智光秀の娘 玉との
婚儀がなされ、光秀の与力として活躍します。
お玉さんは後にキリシタンとなり、洗礼を受け細川ガラシャと名乗ります。
さらにその後、壮絶な最期を迎える訳ですが、その話はまた今度。
明智光秀軍団は、三好家に攻撃対象を変更。
中国地方の覇者 戦国最高の知将と言われた毛利元就が死去。
死ぬ間際に3人の息子(隆元・元春・隆景)を呼び寄せ、3本の矢束を折るよう命じ
誰も3本の矢束を折ることができなかったことから、1本では脆い矢も束になれば
頑丈になると3兄弟に説いたという、俗に言う三本の矢の話として有名です。
織田信澄が元服。
柴田勝家が、加賀にある本願寺の拠点、尾山御坊を攻略。
本願寺顕如を捕らえることに成功。
散々苦しめやがって……。
ってな訳で、処断にしちゃいました。
史実だと、信長に助命された顕如は、各地の一向一揆を抑える役割を持つ事になるんですが、
顕如の息子、本願寺教如が石山本願寺城に籠城し、反織田として対立。
教如は顕如に勘当され、本願寺は西本願寺(顕如派)と東本願寺(教如派)に分裂してしまいます。
秀吉の時代に、本願寺家の再興が許され、後に両本願寺は浄土真宗の総本山として
存続し続ける事になります。
まぁ 私は顕如を処断しちゃったので、本願寺も別れる事なく、
東本願寺だけで頑張ってくださいって事で(笑
そして、いよいよ柴田勝家軍に上杉家討伐を命じます。
教如が籠城していた石山本願寺城を攻略し、これで本願寺家は滅亡。
村上水軍VS九鬼嘉隆率いる鉄甲船は、残念ながらナシ(笑
本願寺家を取り込みます。
織田伏が元服。
石山本願寺城を秀吉に任せ、羽柴秀吉軍を設立。
中国方面軍とします。
従属していた北畠家を吸収し、織田家としました。
北畠家の家臣や領地は明智光秀軍に配置換えを行い、雑賀党鈴木氏攻略を命じます。
ここで、上杉政虎が上杉謙信に改名。
滝川一益軍が武田家を攻略中に、上泉信綱を登用。
新陰流の開祖で、柳生石舟斎の師匠にあたります。
柴田勝豊、蒲生氏郷、佐久間信栄が元服。
蒲生氏郷は父と共に柴田勝家の与力となり、朝倉家討伐で活躍するんですが、
もう朝倉家潰しちゃいました(汗
石田正澄も元服。
石田三成のお兄さんです。
秀吉が八上城を攻略。
これで波田野家は滅亡、波田野家家臣を取り込みます。
一色家を従属させます。
続いて、秀吉には山名家の攻略を命じます。
武田家の本拠である、躑躅ヶ崎館を攻略。
武田勝頼を追い詰めます。
ちなみに、この織田信長はヤングキングアワーズで連載中の漫画ドリフターズとの
コラボキャラになります。
私は読んだ事ないので、詳しい事はよく分かりません(汗
初期の頃、清須に浪人として登場したので、そのまま家臣にして以降、
今でも活躍しております(笑
浦上家を従属。
そして、ついに明智軍が弱体させた三好をも従属させます。
ここで織田信忠が元服。
言わずと知れた、信長の後継者となることを約束された人物でもあります。
幼い頃から家督相続を約束されていた信忠は、武将として出陣する前から
信長の戦に連れられ、闘いを学んでいたエリート中のエリートでもあります。
配置換えを行い、滝川一益軍はさらに東の信濃へ。
織田信忠軍を新設し、尾張と美濃を与え、一益、勝家の支援役としました。
中務大輔に叙任。
北条氏康が死に、北条氏政が後を継ぎます。
従属していた赤松家を吸収。
黒田官兵衛以下、赤松家家臣を秀吉軍に組み込みます。
天才軍師、秀吉の二兵衛(竹中半兵衛、黒田官兵衛)が揃いました。
細川藤孝などの活躍で、雑賀党鈴木氏は滅亡。
雑賀党鈴木氏を取り込み。
雑賀孫一として有名な、鈴木重秀などを取り込ました。
柴田勝家軍が上杉の城を次々と陥落させていきます。
魚津城を陥落させた際に、上杉謙信を捕らえる事に成功。
もう大分時代も狂ってしまったし、まだ謙信が生きているのもおかしいので処断しました。
実は、私個人として、一番好きな大名が上杉謙信で、かなり心苦しい選択でした……。
跡継ぎを明確にしていなかった謙信が急死したので、
上杉景勝と上杉景虎との間で家督争いが勃発。
上杉景虎は北条家から養子として来た経緯から、北条家に援軍を要請。
それに対し上杉景勝は、武田家に工作を働き、武田を見方に付けます。
こうして始まった、上杉家の内乱 御館の乱は、
北条、武田の代理戦争の様相も呈していきます。
秀吉軍の勢いは止まりません。
山名家も滅亡させました。
秀吉には、尼子家の攻略を指示。
毛利まで後少しです。
雑賀党鈴木氏を滅亡させましたので、近畿はほぼ平定。
明智光秀軍には、四国の雄、長宗我部攻略を命じます。
順風満帆。
天下統一も見え始めました。
しかし、信長に忍び寄る崩壊の足音。
このまま、天下統一なるのか、それとも……
ってな訳で、続きは次回。
皆様、良い連休をお過ごしください。
ごちそうさまでした
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