信長の野望・創造 with パワーアップキット(PC)

運命の出会いを果たした、信長と光秀。
ってな訳で、今度は足利義昭に命じられて、上洛を果たす事になります。
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そんな中、上杉家で何やら騒動?
上杉四天王の一人 宇佐美定満と、長尾政景(上杉謙信の遠縁で重臣)との会話。
池で溺死するコンビなんですが、宇佐美定満が政景を絶賛してる。
これ、どんな展開になるんだろうか?
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上洛を果たす為には、美濃平定と斉藤の残党狩りが必要。
まずは、長島城を包囲し奪取。
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娘、福が元服。
姫武将として活躍してもらいます。
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本来、この時代の姫は同盟結婚の道具なんですが、姫武将ありでプレイしてるので
娘だろうと戦ってもらいます(笑

続いて苗木城。
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結構あっさり落とせました。

なぜか苗木城に龍興が居たので、とりあえず召し抱え。
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う~む……。 こいつは追放でも良かったかな……。(汗

池田恒興に、次男、輝政が誕生。
関が原の合戦などで活躍し、初代姫路藩主になる武将です。
今後の活躍に期待。
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郡上八幡城を攻略。
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調略により、義龍が見方に(笑

義龍の活躍もあり(笑)、斉藤家は滅亡。
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斎藤義龍はもとより、竹中半兵衛、美濃三人衆などなど
そうそうたるメンバーを織田家に引き込む事に成功。
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姉小路家から従属の申し出。
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もちろん受けさせてもらいますよ。

人質として、娘を養女に。
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光秀を朝廷との交渉役に抜擢。
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朝廷にも顔が利くし、交渉役としては適任です。

続いて、上洛の第一歩として、琵琶湖のほとりにある観音寺城を攻略。
こちらもイベント絡みなのか、包囲では落とせなかったので打ち壊し。
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そんな中、三好長慶が病死。
三好家の没落が止まりません。
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観音寺城攻略完了。
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次は、帝(みかど)が住む二条城へ進軍します。

ここで、義龍がやっとこ病死(笑
だいぶ、史実とズレてしまいました(汗
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娘の紅が元服。
こちらも姫武将として活躍してもらいます。
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さてさて、九州地方。
南九州をほぼ平定し急成長する島津家。
それに対し北九州を掌握する大友家が、日向を占拠するために南進してきます。
大友宗麟はキリシタン大名としても有名で、フランシスコ・ザビエルより
ドン・フランシスコのクリスチャンネームを与えられる程でした。

元々、北九州はお寺や神社の勢力が多く、異教徒であるキリスト教を広めようとした
大友宗麟との間に宗教によるトラブルが多発していました。
そこで日向の地にキリシタンの理想郷「神の王国」を築く事を計画。
まぁ 当然、家臣たちは猛反対した訳ですが、神の国の建設に燃える大友宗麟は聞き入れず、
自らが総大将を勤める大友軍4万の大軍勢が日向へと南下を開始。
船の帆には金縁の飾りと大きな赤い十字架が描かれ、まさに十字軍のようだったと
伝えられています。

日向の耳川にある高城を包囲する大友軍。
島津家にとって重要拠点である高城を守るのは、勇将 島津家久。
しかし、軍勢は約3000です。
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4万の大友軍の前には、さすがに劣勢でしたが、城が川や崖に囲まれた
難攻不落の城だった事や、家久の奮戦もあり、大友軍を一時後退させる事に成功。
持久戦にもつれ込みます。

そうしている間に、島津家の本隊が合流。
耳川を挟んで両睨みの状態になりました。
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大友宗麟はキリシタンに溺れ、キリスト教徒でない武将達は戦意が低いなど
問題も多かった為に軍師 角隅石宗は、援軍が来るまで慎重に行動するよう進言。
総指揮を勤めていた田原親賢もこれを支持していたのですが、
毛利との戦などで活躍した田北鎮周が、不甲斐ない味方を鼓舞するために
無謀にも敵軍に突撃する事を決意。
勝手に自分の陣に帰って最期の別れの酒盛りを始めてしまいます。
これに多数の武将が賛同し、討ち死に覚悟の酒盛りが各所で始まる有り様。
こうして田原親賢と田北鎮周の間に確執が生まれ、仲間割れが起こってしまいます。

翌日、田北鎮周は耳川を渡り島津軍に突撃。
これに続けと、他の部隊も次々と突撃していきます。
田原親賢率いる大友軍本隊も、田北軍を見捨てる事が出来ずに攻撃に加勢。
大友軍の一斉攻撃が開始されます。

しかし、足並みが揃わなかった大友軍は陣形が伸びきっており、
それを見逃さない名将 島津義弘は大友軍の側面を鉄砲隊で攻撃。
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同時に島津軍の一斉攻撃が開始され、
さらに高城にいた島津家久も城から打って出ます。

多方向から攻撃を受け大友軍は大混乱に陥り、田北鎮周は討ち死。
軍師 角隅石宗も、自ら敵陣に突撃して戦場に散ります。
さらに、敵地に突っ込んだ大友軍は増水していた耳川を渡って
後退しなければならず、大被害を受けてしまいます。

こうして、大友家は衰退。
大友家に従属していた北九州の勢力は、この大敗北で離反。
島津軍もさらに日向の占領を進め、九州の勢力図は、大きく塗り替えられるのでした。
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ってな訳で、続きは次回。

ごちそうさまでした


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