信長の野望・創造 with パワーアップキット(PC)
桶狭間で今川義元を下し、美濃攻略に乗り出す信長。
っと、ここで少し斎藤道三について。
美濃の蝮(マムシ)として有名な道三ですが、一介の油商人から、
一国一城の主にまで登りつめた戦国時代を象徴する人物です。
道三は、元々、松波庄五郎と名乗り、美濃で油商人をしていました。
油を注ぐときに漏斗を使わず、一文銭の穴に通して、油がこぼれたらお代は頂きません
というパフォーマンスで美濃で評判となっていました。
商売では成功していましたが、この力を武芸に注げば立派な武士になれるだろう
と言われ、一念発起して商売をやめ、槍と鉄砲の稽古をして武芸の達人になります。
その後、美濃の有力者の1人、長井家に仕官。
長井家の家臣、西村氏の家名をついで西村勘九郎正利と名乗りました。
さらに長井氏に紹介されて、その主人の土岐頼芸の家臣となります。
当時の美濃は土岐家という大名が支配しており、頼芸は土岐家の次男でした。
頭がキレ、何をやっても器用にこなす勘九郎(道三)は、土岐頼芸の
一番のお気入り家臣となり、頼芸の側室を与えられて妻とするほどに
信頼される様になります。
その後、土岐家の家督相続が勃発。
土岐頼芸は、兄である土岐政頼に敗れるも、勘九郎(道三)は頼芸を誘導し夜襲を決行。
大名だった政頼を追放してしまいます。
そして、土岐頼芸は美濃の大名となり、勘九郎(道三)も土岐家で一番の家臣となります。
次に、頼芸のお気入りの一人、かつての恩人である長井氏の排除を画策し暗殺。
長井家を乗っ取り、長井新九郎規秀と名乗り、長井家の稲葉山城を居城としました。
1538年、美濃守護代の斎藤利良が病死すると、その名跡を継いで
斎藤新九郎利政と改名。
そして、自身の主である土岐頼芸の城を強襲し尾張に追放してしまいます。
土岐頼芸も織田信秀(信長の父)に頼み、土岐氏の美濃復辟を名分として、
稲葉山城に迫りますが、強固に改修された稲葉山城での攻城戦で
織田軍が壊滅寸前にまで追い込まれ敗退。
その後、土岐頼芸も弟の頼純も病死してしまい、さらに、土岐家に見方していた織田家に
娘の帰蝶(濃姫)を信秀の嫡子、織田信長に嫁がせ織田家と和睦が成立。
他の勢力も倒し美濃を平定します。
帰蝶を信長に嫁がせた後、正徳寺で会見した際に「うつけ者」と評されていた信長が
多数の鉄砲を護衛に装備させ正装で訪れたことに大変驚き、
斎藤利政(道三)は信長を見込むと同時に、家臣に「我が子たちはあのうつけ(信長)の門前に
馬をつなぐようになる」と述べたと言われています。
まぁ 要するに信長を気に入ったって事ですね(笑
斎藤利政(道三)は家督を子の斎藤義龍へ譲り、自らは常在寺で剃髪入道を遂げて
道三と号し隠居。
しかし、義龍は元土岐頼芸の側室であった妻の生んだ長男であり、
嫁いですぐに生まれたので、道三の子ではなく、頼芸の子だという噂がありました。
義龍は道三とは似ても似つかぬ巨漢でありがなら大人しい性格で、
部屋で本ばかり読んでいるような人でした。
道三は義龍よりも、その弟である孫四郎や喜平次らを偏愛し、
義龍の家督相続を撤回、他の兄弟に国を継がせようとします。
1555年、義龍は弟達を殺害し道三に対して挙兵。
国盗りの経緯から道三に味方しようとする旧土岐家家臣団はほとんどおらず、
17500の兵を率いる義龍に対し、道三の兵は2500。
信長へ「美濃一国譲り状」を届けさせると、信長が派遣した援軍は間に合わずに
戦死しました。享年63。
ってな訳で、美濃一国譲り状を名分に美濃攻略を開始した訳ですが、
斎藤義龍は、なかなかの強者ですので、少しづつ周りから攻略していきます。
まずは、前にも書きましたが、天才軍師 竹中半兵衛の引き抜きを開始。
すぐに引き抜けませんので、時間をかけてじっくり行きます。
今回は8才じゃないです(笑
そして、有名な墨俣一夜城。
美濃と尾張の中間地点にある、墨俣(すのまた)に城(砦的な物)を
作ろうと画策する訳ですが、当然、義龍の妨害を受け建築は上手く行きません。
そこで、秀吉が夜の内に一晩で城を作っちゃおうじゃないか という話です。
まぁ 普通にやっても妨害されるので、こちらもじっくり行きます。
今川の残党を攻略。
花の慶次で有名な、前田慶次が活躍し残党狩りは終了。
前田慶次は後に出奔して京都で遊んだ後、上杉家に行く訳ですが、
まだこの頃は織田家に居ます。
内助の功で有名な山内一豊を登用しました。
松平家との信用が100に到達。
清洲同盟が結成され、元康は、今川義元からもらった元の字を捨て、
松平家康と改名しました。
ここで、長尾景虎(後の上杉謙信)が関東管領に就任。
そしてそして、戦国時代の幕開けとも言える応仁の乱で大活躍し、
近畿地方の中央部から四国の東側まで広がる広大な領土を持つ大国、
三好家に暗雲が立ち込めます。
三好家の党首、長慶の弟の1人で、三好家の中でも軍事的に重要な
地位を占めていた十河一存が、落馬により急死。
この後、次々と一族が戦死や病気で死んで行く訳ですが……。
戦国の梟雄 松永久秀の影がチラつき始める事件です。
まぁ この辺の話は、また後日。
浅井家との信用も100に到達。
ってな訳で、長政とお市さんの結婚です。
まぁ 言うまでもないと思いますが、お市さんは信長の妹です。
戦国一の美男美女と言われた2人の結婚に、城下も盛り上がっていました。
これで、浅井家とも婚姻同盟が成立。
コマは揃いました。
後は、どのタイミングで墨俣一夜城を完成させ、
稲葉山城を攻略するかが鍵になってきます。
ってな感じで続きは次回。
ごちそうさまでした
桶狭間で今川義元を下し、美濃攻略に乗り出す信長。
っと、ここで少し斎藤道三について。
美濃の蝮(マムシ)として有名な道三ですが、一介の油商人から、
一国一城の主にまで登りつめた戦国時代を象徴する人物です。
道三は、元々、松波庄五郎と名乗り、美濃で油商人をしていました。
油を注ぐときに漏斗を使わず、一文銭の穴に通して、油がこぼれたらお代は頂きません
というパフォーマンスで美濃で評判となっていました。
商売では成功していましたが、この力を武芸に注げば立派な武士になれるだろう
と言われ、一念発起して商売をやめ、槍と鉄砲の稽古をして武芸の達人になります。
その後、美濃の有力者の1人、長井家に仕官。
長井家の家臣、西村氏の家名をついで西村勘九郎正利と名乗りました。
さらに長井氏に紹介されて、その主人の土岐頼芸の家臣となります。
当時の美濃は土岐家という大名が支配しており、頼芸は土岐家の次男でした。
頭がキレ、何をやっても器用にこなす勘九郎(道三)は、土岐頼芸の
一番のお気入り家臣となり、頼芸の側室を与えられて妻とするほどに
信頼される様になります。
その後、土岐家の家督相続が勃発。
土岐頼芸は、兄である土岐政頼に敗れるも、勘九郎(道三)は頼芸を誘導し夜襲を決行。
大名だった政頼を追放してしまいます。
そして、土岐頼芸は美濃の大名となり、勘九郎(道三)も土岐家で一番の家臣となります。
次に、頼芸のお気入りの一人、かつての恩人である長井氏の排除を画策し暗殺。
長井家を乗っ取り、長井新九郎規秀と名乗り、長井家の稲葉山城を居城としました。
1538年、美濃守護代の斎藤利良が病死すると、その名跡を継いで
斎藤新九郎利政と改名。
そして、自身の主である土岐頼芸の城を強襲し尾張に追放してしまいます。
土岐頼芸も織田信秀(信長の父)に頼み、土岐氏の美濃復辟を名分として、
稲葉山城に迫りますが、強固に改修された稲葉山城での攻城戦で
織田軍が壊滅寸前にまで追い込まれ敗退。
その後、土岐頼芸も弟の頼純も病死してしまい、さらに、土岐家に見方していた織田家に
娘の帰蝶(濃姫)を信秀の嫡子、織田信長に嫁がせ織田家と和睦が成立。
他の勢力も倒し美濃を平定します。
帰蝶を信長に嫁がせた後、正徳寺で会見した際に「うつけ者」と評されていた信長が
多数の鉄砲を護衛に装備させ正装で訪れたことに大変驚き、
斎藤利政(道三)は信長を見込むと同時に、家臣に「我が子たちはあのうつけ(信長)の門前に
馬をつなぐようになる」と述べたと言われています。
まぁ 要するに信長を気に入ったって事ですね(笑
斎藤利政(道三)は家督を子の斎藤義龍へ譲り、自らは常在寺で剃髪入道を遂げて
道三と号し隠居。
しかし、義龍は元土岐頼芸の側室であった妻の生んだ長男であり、
嫁いですぐに生まれたので、道三の子ではなく、頼芸の子だという噂がありました。
義龍は道三とは似ても似つかぬ巨漢でありがなら大人しい性格で、
部屋で本ばかり読んでいるような人でした。
道三は義龍よりも、その弟である孫四郎や喜平次らを偏愛し、
義龍の家督相続を撤回、他の兄弟に国を継がせようとします。
1555年、義龍は弟達を殺害し道三に対して挙兵。
国盗りの経緯から道三に味方しようとする旧土岐家家臣団はほとんどおらず、
17500の兵を率いる義龍に対し、道三の兵は2500。
信長へ「美濃一国譲り状」を届けさせると、信長が派遣した援軍は間に合わずに
戦死しました。享年63。
ってな訳で、美濃一国譲り状を名分に美濃攻略を開始した訳ですが、
斎藤義龍は、なかなかの強者ですので、少しづつ周りから攻略していきます。
まずは、前にも書きましたが、天才軍師 竹中半兵衛の引き抜きを開始。
すぐに引き抜けませんので、時間をかけてじっくり行きます。
今回は8才じゃないです(笑
そして、有名な墨俣一夜城。
美濃と尾張の中間地点にある、墨俣(すのまた)に城(砦的な物)を
作ろうと画策する訳ですが、当然、義龍の妨害を受け建築は上手く行きません。
そこで、秀吉が夜の内に一晩で城を作っちゃおうじゃないか という話です。
まぁ 普通にやっても妨害されるので、こちらもじっくり行きます。
今川の残党を攻略。
花の慶次で有名な、前田慶次が活躍し残党狩りは終了。
前田慶次は後に出奔して京都で遊んだ後、上杉家に行く訳ですが、
まだこの頃は織田家に居ます。
内助の功で有名な山内一豊を登用しました。
松平家との信用が100に到達。
清洲同盟が結成され、元康は、今川義元からもらった元の字を捨て、
松平家康と改名しました。
ここで、長尾景虎(後の上杉謙信)が関東管領に就任。
そしてそして、戦国時代の幕開けとも言える応仁の乱で大活躍し、
近畿地方の中央部から四国の東側まで広がる広大な領土を持つ大国、
三好家に暗雲が立ち込めます。
三好家の党首、長慶の弟の1人で、三好家の中でも軍事的に重要な
地位を占めていた十河一存が、落馬により急死。
この後、次々と一族が戦死や病気で死んで行く訳ですが……。
戦国の梟雄 松永久秀の影がチラつき始める事件です。
まぁ この辺の話は、また後日。
浅井家との信用も100に到達。
ってな訳で、長政とお市さんの結婚です。
まぁ 言うまでもないと思いますが、お市さんは信長の妹です。
戦国一の美男美女と言われた2人の結婚に、城下も盛り上がっていました。
これで、浅井家とも婚姻同盟が成立。
コマは揃いました。
後は、どのタイミングで墨俣一夜城を完成させ、
稲葉山城を攻略するかが鍵になってきます。
ってな感じで続きは次回。
ごちそうさまでした
スポンサードリンク